「そらまめ通信100号記念作文医療者部門 最優秀賞」

「私と腎臓病・孫からもらったメッセージ」 京都医療センター臨床研究センター予防医学研究室 山内惠子  1970年済生会宇都宮病院の栄養士となって3年後、初めて腎不全の患者指導に関わることになった。たんぱく食調整食品などない時代に2200kcal・たんぱく質30g/dayの栄養指導も献立作成も至難の業だった。当時発売されたばかりのマックエイト(短鎖脂肪酸)の粉末を利用したクッキーやシャーベットを作っては病棟に運んだものである。透析の導入も全国に先駆けてのスタートだったが、延命につなげるのは難しく、患者と一緒になって試行錯誤の日々を送った。 出産後は愛知県に移り医療から離れていたが、1987年に岡崎市医師会運営の健診センターに再就職した。人間ドックや、健診後の指導では飽き足らず、約束食事箋を作り病医院から予約を取る形での病態栄養相談室を立ち上げた。同時期に出浦輝國先生と出会い腎臓病の食事療法勉強会に参加し、同じ志で学ぶ多くの友と出会った。当時は、低たんぱく食の重要性をわかりやすく伝えることや、でんぷん米をいかにおいしく患者提供できるか日々頭を悩ませていた。 時同じくして、たまたま開業医から送られてきた糖尿病性腎症の患者に低たんぱく指導を実施していたが、心臓病の合併症から岡崎市市民病院に入院となり、退院後も私のもとで低たんぱく食を再スタートした。しばらくして、市民病院の担当医師から「腎機能が安定し驚いた。どういう食事指導をしているのか?」と問い合わせが来た。偶然にも彼は出浦先生の研究生であったこ…

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