父との別れ

8月17日(金) この日は京都医療センターの坂根先生と、9月に行われる栄養改善学会の自由集会の打ち合わせやら、研究内容、論文のことなどなど、たくさんのご相談事を抱えて早朝から京都に出かけていました。

1日がかりの打ち合わせかなと覚悟して出かけたのが、順調に事が運び、きりがついたのが1時ころ

一息ついて、「これで京都見物でもして帰れますわ」と気楽に先生にごあいさつし、携帯を見ると弟からの留守電が・・・

父がデイケアー先で心停止状態で病院に運ばれたとの知らせでした。


あわてて新幹線に飛び乗り

京都にいたのも、午前中で仕事のきりがついたのも

結果的には、父に会いに行くための最短距離だったかと・・・・

自宅からだったら、最寄りの新幹線駅まで出かけ、もたもたしているうちに5時間はかかってしまいます。

幸いにも3時間後には父の顔を見ることが叶いました。


実家にたどり着いて状況を聞けば

前日からのお泊りで家を出て、元気に朝食を食べ、いつもの食後の午睡の間の出来事だったようで

病院に搬送され、処置を受け、昼には安らかな眠りについたとのことでした。


本当ならば、今回の宮城のボランティア(25日~27日)終了後の28日に栃木に途中下車して、父の顔を見ていこうと思っていた矢先でしたから、最後の別れができなかったことへの心残りはありますが・・・

88歳8か月  末広がりの大往生で

お盆で会いに来ていた母に手を引かれ、苦しむことなく天に召されていったかと

おしどり夫婦の仲の良い父と母でしたから

苦しまずに旅立ってくれたことに、寂しいけどホッとした気持ちにもなれました。


父は、高校の数学の教師だったけど、本当は英語の方が好きで、教育派遣でアメリカに行くことができたのがとても嬉かったようで、枕元にはその時の手記がよれよれになって置かれていました。

器用な人で、町内会のお神輿づくりや、家の中の様々な小物もすべて手作りで

母がこんなものが欲しいといえば何でも作ってしまう器用な人

絵をかくのが好きで、美術クラブの顧問もしていたけれど

実家の映画館の看板描きはいつも父の仕事でした。

幼いころから休日は看板描きをしている父の横で、ペンキのにおいをかぎながら遊んでいたものです。


特定保健指導を考えるSNSのリレー連載にも書きましたが

私はやはり 父の後を追いかけて歩んできたからこそ、今があるのだと思っています。

http://www.hokensidou.net/relay/026_1.html


大学卒業の時、進路に迷った私に、始めてくれた父の手紙

「自分が進んだ道が本当に良かったかどうか、それは自分が生涯を終えるときにそう思えるかどうかだと父さんは思う。自分がこれでいいと思う道を進みなさい」


いつも自分が満足できる生き方を歩んでこれたのは、父の導きがあったからこそ

若いころは父の期待には添わず、教育者の道は選ばずに病院栄養士としてスタートしたけれど、入職して3~4年後には看護学校で非常勤講師として教鞭をとっていた私

その後の転職でも、どういうわけか栄養士をしながら教育者としての仕事もついてきた

10年前、今の大学に迎えられ、本格的の教育者の道を歩むことになったという報告を、一番喜んでくれたのは父でした。

4月から准教授の役職を頂いたのに、今度会ったら報告しようと・・・

何だか一番喜ぶ姿を見ることもなくに別れの時が来てしまったけれど

今、天国で笑っているような気がします。

母の死もとても穏やかでした

そして父も眠るように逝ってくれました

残された者にとって、親の安らかな死ほど心穏やかなものはないとしみじみ思います


いつの間にか私自身も還暦を過ぎ

残された人生の日々を数える時期を迎えたことを悟りました

生かされるだけ、自分の人生を大切に

気持ちよく老いていきたいものです。

願わくは両親のように家族に迷惑をかけることなく

穏やかに人生の幕を閉じたいものです。


おとうちゃん

おかあちゃん

生んでくれてありがとう

私も、もう少しこの世にとどまったら、あなた方のもとに行きます。

それまでは、自分を大切に生きていこうと思うので、待っていてくださいね。


合掌 


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この記事へのコメント

  • あつもり草

    先生
    この度は、心よりお悔やみ申し上げます。

    とても素敵なお父様の様子がブログから伝わってきました。

    何をどう書き込めばわかりません。

    私もお父ちゃん、お母ちゃんと、未だに呼んでいます。
    父は80、母は78。

    たまたま今週末実家に行って先祖の墓参りをする予定でいました。

    2012年08月27日 23:17
  • ykeiko

    あつもり草さん
    ありがとうございます。

    思春期は反発した時期もありましたが、遠く離れて

    そして自分も親になって

    今、とわに会えなくなって

    ますますその存在感を味わっています。

    SATカウンセリングや、ゲシュタルト療法を通して、素直に自分の親を見つめることができるようになったかなとも思います。

    まだ、ご健在なご両親様と、楽しいひと時をお過ごしください。

    本当に、お心遣いありがとうございました。
    2012年08月28日 08:03

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