、小津安次郎監督の青春時代に触れてきました

昨日は、松阪の栄養士会様からのご依頼で
「愉しくてためになる栄養指導」というテーマでの講演に出かけていきました。

少し早めに松阪について、友人たちと一緒の食事を愉しむ計画があったので、前日から名古屋に宿を取っていたため、予定よりも早く松阪についてしまったのです。

私の生家が映画館だということを知っている友人が

気を利かして「小津安二郎青春館」というところに案内してくれました。

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日本が生んだ偉大な映画監督が、多感な少年時代をすごした町並みを見て
この松阪に住んでいたことが、意味のあることだったんだなということがよく分かりました。

「小津安二郎青春館」の中に入ると、懐かしい当時の映画の写真やセットの模型がおいてありました。

高嶺秀子さんや京町子さん、山本富士子さんなどなど、幼い頃に見た懐かしい面々

映画のワンカット写真などを見ているうちに、自分が子どもの頃に映画館の中で過ごしていた日々が

走馬灯のように浮かんできました。



21世紀を迎えた今、ハリウッドを除く世界の映画監督たちがそろって小津を褒め称えているそうです。

国も時代も民族も宗教も異なる人々が、なぜ小津監督の作品に共感できるのだろう?

「江戸店持ち商人」といわれる豪商の家に生まれ育った彼は、10歳の時に父親の実家であり、商売上の本店があった三重県松坂町に引っ越します。

単身赴任の父親を東京に残し、彼は兄と姉妹とともに母親によって19歳まで、この松阪での生活を愉しんだようですよ。


自由とお金に不自由せず、14歳頃には映画館に入り浸るようになっていたそうです。

勉強もろくにせず、学校をさぼりがちだった彼は、非情に大人しい性格だったにも関わらず不良学生として有名になり、ついには寄宿舎を追い出されてしまいました。

邦画はほとんど見なかった。

アメリカ映画こそ、彼にとっての映画の理想だったようです。そして、このことが彼の映画作りに大きな影響を与えることになったんだろうといわれています。

彼の日記や、みてきた映画の題名が記録されて手帳をみるにつけ、とても緻密な様子が手に取るようにわかりました。


そして、納得!!

生活圏だった界隈は、今でも当時の様子が伺える夜の街、ネオン街

エロチックなところやユーモアな部分

子ども目線で眺めていた大人の世界の風景画

みんなみんな、この時代に、この松阪で過ごしたあの時間があればこそ

彼は映画監督への道を目指して、松竹蒲田撮影所に撮影助手として勤めることになっていったんだなと・・・


改めて、彼の作品を見てみたいという気持ちになりました。

彼が子どものころによじ登って遊んだ夏みかんの木が

今も枝もたわわに実をつけてたっているのが、記念館の裏手に回ったところから見えました。


今は、収穫された実がマーマレードとなって、売られるそうですが、あっという間に完売と

案内のオバサンが説明してくれました。


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